アメリカ、そしてフランスで学んだ和歌山県出身の洋画家・浜地清松(1885〜1947)を、浜地と交流のあった作家や同時代の作家たちとともに紹介します。
和歌山県からは戦前、多くの人々が移民としてアメリカに渡っていますが、浜地もそのひとりです。紀伊半島の南端にある和歌山県串本町津荷に生まれた浜地は、1901(明治34)年に兄を頼って渡米します。そして1909(明治42)年にボストン美術館附属美術学校を卒業後、ニューヨークに移り住みました。ニューヨークでは、図案制作などで生計を立てながら作品を制作し、郷里に近い太地町出身の石垣栄太郎(1893-1958)や岡山県出身の国吉康雄(1889-1953)ら同地の日本人画家たちとも交流しています。1920(大正9)年に帰国した後は、郷里の少し北にある新宮市で洋画研究所を開きますが、1925(大正14)年に再び渡米。1927(昭和2)年にはパリへ渡りました。パリ滞在中に大きな公募展(サロン)に何度か出品して入選を果たし、1928(昭和3)年に帰国してすぐの帝展(帝国美術院展覧会)では、《赤い帽子》が特選となるなど評価を高めました。翌1929(昭和4)年には、第一美術協会の結成に参加。1947(昭和22)年に逝去するまで同会や帝展、新文展などを中心に活躍しました。
古典的でアカデミックな作風を展開した浜地の作品は、例えば同時期にパリに滞在した佐伯祐三(1898-1928)たちと比較すると、「新しい」絵画ではないかもしれません。しかしその執拗な描写と画面構成は、浜地独自のもので不思議な魅力を放っています。浜地は残された作品が少なく、経歴にも不明な点が多いのですが、近年少しずつ作品や情報が集まってきました。この特集は、浜地清松の没後、初めて作品がまとめて紹介される機会となります。