8世紀半ば、聖武天皇によって甲賀の地に紫香楽宮が造営され、大仏の造像が発願されました。しかし、紫香楽宮は短期のうちに造営が中止され、発願された大仏も、還都された平城京で造営され、現在も多くの参詣者でにぎわう東大寺で再生されます。
紫香楽宮は、近年の発掘調査によって壮大な遺跡が確認され、井戸枠や釣鐘の型をはじめとする巨大な遺物や、7000点に及ぶ木簡や墨書土器、また大仏の造営とも関わる甲賀寺やその工房などが明らかになりつつあります。本展では、最新の成果にもとづいて、紫香楽宮に関連する各種の文化財をご覧いただきます。
短命に終わった紫香楽宮ですが、その後の石山寺の造営には、紫香楽宮から貴族の邸宅が移築されるなど、この宮に関わる活動の記録が残されています。そして甲賀の地では、神仏への信仰に関わる優れた造形が生み出され、豊かな宗教文化が築かれていきました。湖南市・善水寺や甲賀市・櫟野寺などの圧倒的な仏像群は、これらをよく物語っています。
また、この地域には、天平文化の創造を担った良弁僧正が関与して造営された、石山寺や金勝寺などがあり、当時の最高の技術を持った工房で生み出された、写経や仏像、神像などの優れた文化財が伝えられています。これらについても本展で紐解いてゆきます。