日本がイタリアを発見したとき
―出会いの物語(1585〜1890)

October 1, 2019 to February 22, 2020

「日本がイタリアを発見したとき」展は、イタリアと日本との初めての交流を物語る幾つかの象徴的な出来事を中心に、多くの識者によってグローバライゼーションの夜明けと位置付けられる時代―ヨーロッパが外の世界に向けて門戸を開いた非常に重要な時期に、両国で形作られていったそれぞれの国のイメージについて探ります。

プロジェクトの土台には、この二つの文化の出会いへの道を切り拓いた歴史的な転換点を洗い出し記述するという野心的な目標があります。本展では、日本に対する西洋の好奇心を二つに分け、最初の遭遇が齎した衝撃と、1585年から1890年にかけて変化した両国の関係の様相とをそれぞれに追います。

第1部は「伊東マンショと天正遣欧少年使節:1585〜1615年」と題して、“ジパング”へ渡り伝道に従事し、16世紀日本社会に際立った足跡を残したイエズス会宣教師の仲介に遡る二つの国の邂逅と互いの認識の始まりについて紹介します。

この時期は所謂「南蛮」美術―日本の技術で作られた、西洋風のモチーフやデザインを表した作品。しばしばキリスト教の痕跡が認められる―が産声を上げた時代であり、会場にはその素晴らしい作品例が展示されます。この枠組の中で、日本でのイエズス会の宣教活動を推進したアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、改宗した4人の日本人の少年たちを当時のキリスト教世界の中心であったローマ及びイタリアに派遣する旅を企画しました。ここでは、ドメニコ・ティントレットによる伊東マンショの有名な肖像画が、ヨーロッパで初公開されます。続いては、1915年の二度目の日本の外交使節、慶長遣欧使節に注目します。こちらの使節はミラノには立ち寄りませんでしたが、1641年から1853年まで続いた日本の「鎖国」と呼ばれる孤立主義政策の施行に先立つ時期に、イタリアと日本との二国間関係にもう一つの大きな足跡を残したことは間違いありません。

第2部は「ロンバルディアの日本美術館」と題して、ジョバンニ・バッティスタ・ルチーニ・パッサラックア伯爵によって収集され、現在は当美術館に所蔵されている日本工芸美術品のコレクションをご覧頂きます。この展示では、来館者は19世紀末に日本の港が再び世界に開かれた時の様子と、続いて湧き上がった日本に対する新たな商業的・文化的関心について垣間見ることができます。実際に1860年代からは、ロンバルディアのシルク商人がアジアとの間に強い関係を確立したのに伴って東洋文化に対する興味と関心が高まり、数多くの工芸品や美術品が持ち込まれて、私設の日本美術館が設立されたり、産業美術展として一般に公開されたりしました。

本展は、ミラノの貴族社会出身で、友人のシルク専門家にして旅好きのフェルディナンド・メアッツァに触発されて1871年に「世界一周旅行」に出発したルチーニ・パッサラックア伯爵の興味深い人物像も紹介します。極東を旅する間に、伯爵は数々の美術品や工芸品を購入し、イタリアに戻った後、1874年にミラノで開催された「産業美術の歴史展覧会」で一般に公開しました。その後、伯爵はコモ湖畔のモルトラシオにあった自邸内に日本美術館を設立してコレクションを収めます。ルチーニ・パッサラックア・コレクションは1898年から99年にかけてミラノ市が購入し、最終的に当MUDECのコレクションに統合されました。本展では、美術館開館以来初めてコレクションの全貌を公開します。青銅器・染織・磁器・漆器を含む150点以上の展示作品は、日本でイタリアが強い存在感を持っていた時代(1869〜1874年)に収集された典型的な文物の広範な概要を示しています。

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開催場所

MUDEC| ミラノ文化博物館

ミラノ市
イタリア共和国
MUDEC | Museo delle Culture
via Tortona 56, CAP 20144 Milano
Italy
Phone: +39-02-54917